1960年にフランスより独立。ダヴィド・ダッコ (David Dacko) が中央アフリカの初代大統領に就任した。
1965年12月、ダッコ大統領のいとこで当時国軍の参謀総長だったジャン=ベデル・ボカサ中佐による軍事クーデターが起こり、ダッコ政権が転覆。1966年1月、ボカサ中佐が大統領に就任し独裁政治を始めた。1972年にボカサ大統領が終身大統領を宣言し1976年12月、ボカサ大統領により中央アフリカ共和国に帝政を敷くことが決定された(中央アフリカ帝国)。
1979年9月、独裁により贅を尽くし「黒いナポレオン」と呼ばれていたボカサ皇帝の外遊中にフランスがクーデターを仕掛けて介入した。ボカサ政権を転覆させて共和制を復活し、ダッコ元大統領が再就任した。
1981年9月1日、アンドレ・コリンバ国軍参謀総長によるクーデターが発生し、コリンバ政権へ。
1993年の選挙でコリンバ参謀総長は落選し、アンジュ・フェリクス・パタセが大統領に就任した。しかし国内の混乱は収まらず騒乱状態となり、1998年には国際連合中央アフリカ共和国ミッション(MINURCAT)による多国籍軍の駐留が行われた。
2003年、チャドのイドリス・デビ大統領や MINURCAT の支援を受けたフランソワ・ボジゼは、パタセ大統領が国外にいる間にクーデターを起こし、権力の掌握に成功して大統領に就任した。
2012年12月、反政府武装勢力CPSK-CPJP-UFDRの連合体であるセレカが北部および東部の広域を掌握していく。翌年3月には、1月の和平合意を履行しなかったとしてボジゼ政権への攻撃を再開し、首都のバンギを制圧した。セレカの主導者ミシェル・ジョトディアが自ら暫定大統領に就任(軍事独裁、軍事政権)し、3年後の選挙までチャンガイ首相が政権を担うことになった。だが、アフリカ連合はセレカによる首都制圧を非難。加盟国に対し「結束した断固たる行動」を求めた。4月、ジョトディアはアフリカ連合の要求を受け入れ、暫定評議会を設置。ほかに候補者がいないなかで、暫定評議会から大統領に選出された。8月、宣誓式が行われ正式にジョトディアが大統領に就任した。ジョトディア大統領は、中央アフリカの歴史上初めてのイスラム教徒の大統領であった。2013年にはジョトディア大統領によりセレカの解散が行われたが、単に非合法化されただけで武装組織そのものは温存されたままだった。
Wikipediaより一部抜粋。 解説:青木弘 2019年7月現在